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日本一の閑散路線 岩泉線
岩泉線は、JR東日本山田線茂市駅と岩泉駅を結んでいた超ローカル線です。並行する国道360号線が狭隘だったため存続していましたが、2010年7月に土砂災害で不通となり、そのまま復旧されずに2012年3月末で廃止となりました。
岩泉線と山田線の盛岡-宮古間は、2007年11月までは旧型のキハ52が走っていました。塗色は白地に赤帯の塗装で、前面上部が赤く塗られた「赤鬼」と呼ばれる塗り分けがされていました。また、一部の車両はいわゆる国鉄一般色と呼ばれるクリーム色と赤の塗り分けに戻されていました。
本数が少ないことと当時住んでいた名古屋から遠かったため、なかなか撮影に行けなかったのですがいよいよキハ52が廃止になると聞き、2007年1月と8月の2回撮影に行きました。
当時は山田線の沿線も含めてコンビニなどもほとんどなく、食料の調達に苦労したおぼえがあります。
列車は一日3往復
全線を走る列車はわずか3往復で、朝は茂市-岩手和井間に一往復の区間運転がありました。特に冬は最後の1.5往復は暗くて撮影ができない上に、道が狭くて追っかけもできないのでシャターチャンスは本当に貴重でした。
こちらも本数が少なかった三江線のダイヤですが、岩泉線と比べるとずいぶん多く見えてしまいます。
茂市駅
山田線から岩泉線が分岐していた駅です。キハ58も停まってなかなかの賑わい。
茂市-岩手刈屋間
たまたまひまわりが咲いているのを見つけ、狂喜乱舞して撮影しました。撮影時刻からすると、岩手和井内駅折返しの列車を往復撮影した模様。
「たまたま植えたんだけど、どう?」と歩いてきたオーナーさんにきかれ、平身低頭お礼を申し上げた記憶があります。
こちらが岩手和井内行き
こちらが岩手和井内発の折返し
黄色の吹き出しの位置が撮影場所です。
押角峠
岩泉線でいちばん有名な撮影地であった押角峠からの眺望。列車はどこだ?という感じです。
上は夏の写真ですが、あたりが暗い冬の方が列車は目立ちます。雪を期待して正月休みに出かけたのですが、この時は岩泉線の沿線は雪がほとんど積もっていませんでした。
下の写真は冬の撮影で、単行の列車が押角駅に停まっているところです。このころはカメラの画素数が少なかったので二台並べて画角を変えて撮っていました。
こちらが同時に撮影した列車アップの写真です。押角駅は、板張りのホームだけの駅でした。
押角駅
上の写真だとホームはとても短く見えるのですが、実際に行ってみると思ったより長いです。この押角駅は秘境駅の元祖とも言える存在です。
駅名標と時刻表
時刻表のアップ。一日3往復です。
駅から道路に出るには手作り風の橋を渡ります。
こちらが撮影地の地図です。
オレンジ色の吹き出しが押角駅で、黄色の吹き出しが駅を見下ろして写真を撮った押角峠です。まわりに何もないのがおわかりいただけると思います。
岩手大川駅-浅内駅間1
ここも岩泉線では人気のスポットでした。国道脇から手軽に撮影できました。
撮影位置は、地図の黄色の吹き出しです。
岩手大川駅-浅内駅間2
路線は押角峠付近を源流とする川と並行して岩泉へ向かいます。
何しろ本数が少ないので、光線の向きが…とか言っていられません。
撮影位置は地図の黄色の吹き出しです。
岩手大川駅-浅内駅間3
これは撮影地ガイド本に紹介されていた場所を紹介されていたとおりに撮りました。ごめんなさい。
画面左下、茅葺き屋根の家がアクセントなのですが、木が茂ってよく見えませんね。
場所は、下記の地図の黄色の吹き出しの位置です。
浅内駅
これは浅内駅のホームからの撮影です。列車の右に写るのは給水塔…らしいです。
場所は、黄色の吹き出しの位置です。
グーグル・マップには今でも浅内駅が載っていますが、駅舎はまだ残っているのでしょうか。
二升石駅-岩泉駅間
浅内駅から先は開業が1972年と比較的新しいためか橋本体がコンクリート製になって近代的な風情です。
撮影地は、終点岩泉駅に近い黄色の吹き出しの位置です。
岩泉駅
ウィキペディアによると、昔から列車の本数は少なかったようですが駅舎は随分大きいです。
中も広い。特急が停まる駅ではないかと思わせる待合室です。
名所案内。駅は山の中なのに、何十キロも離れた陸中海岸の景勝地が並んでいます。
以上、ご覧いただきありがとうございます。